こもれびライフ

40代で2児の母。体調記録やお買い物記録など。

お金の無心をやめさせた方法は?父の自己破産の思い出【貸さぬも親切】

おはようございます。

9月27日の午前中。

ニュース速報をみて、鳥肌が立ちました。

女優の竹内結子さんのニュース。

朝から衝撃でした。

まだ信じられません。

本題です。 

日曜劇場「半沢直樹」最終回ご覧になりましたか?

前回のシリーズにくらべて、

役者さんのアドリブとかすごくて、

笑えるところが満載でしたね。

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今回のドラマでわたしが一番心に残ったのは、

半沢が言ったこのひとこと。

「貸すも親切。貸さぬも親切」

この言葉で思い出しました。 

今回は、実家の過去の出来事をお話したいと思います。

いま、お金で苦しんでる方に向けて記事を書きました。 

お金の無心をやめさせた方法は?父の自己破産の思い出【貸さぬも親切】

家族で夜逃げした思い出

わたしが小学2年生の夏休みのことです。

実家は小さな電気屋を営んでいましたが、

借金をこさえて潰れました。

外で友達と遊んでいたわたしを母が迎えに来ました。

「ちょっと出かけるよ」

そうして車で向かった場所は、

汚いアパートでした。

今日はここでお泊りするということだけ言われた気がします。

その夜中、

両親は何度も車を往復して、家具を運んだと聞きました。

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急な引っ越し、転校。

父は電気屋をやめて、タクシー運転手になるため、

教習所に通いはじめました。

タクシーを運転するには「二種免許」が必要なのです。

何度も試験に不合格してましたが、やっと合格。

それまで、我が家は大変でした。

難聴になっていた母も、パートを探し、働きはじめました。

komorevi.net

私はまだ幼かったので、

前の住所に帰ることはないんだと理解するのに、

時間がかかりました。

もう友達と会えない。

急な環境の変化にとまどっていました。

父はその後ギャンブルにはまる

父は電気屋を開業したころは、

とても真面目だったと母は言っていました。

どこをどう間違えたのか、

父は競艇(ギャンブル)にハマってしまったのです。

電気屋を開業したのですから、

電気関係の資格を何個も持っていたのに、

その道をスッパリやめて、タクシー運転手になりました。

なぜそうしたのか、一度聞いたことがあります。

「一度はお店を出すという夢が叶ったから満足した」とのこと。

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大きい借金を背負い、

しかし家族は養わなければならない。

そういう重圧があったのか、

電気屋の借金もさることながら、

ギャンブルでも借金したりして、

父はドツボにはまっていくのでした。

貧乏で汚い家が恥ずかしかった10代の頃

わたしが中学生になったときです。

消費者金融からの電話に出てしまったことがあります。

この時代には携帯電話はありませんでした。

「お父さん借金してるよ、お金を借りたら返さないといけないって君は知ってる?

君からもお父さんに、ちゃんと返すように言ってよ」

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怖い声で言われました。

忘れもしません。ヤクザから電話が来たと本気で心配しました。

その消費者金融の名前は「セントラルファイナンス」です。

今は合併とかして組織も変わってます。

すごく怖かったです。トラウマになりました。 

今、この令和の時代も、

こういう怖い思いをしてる子供がいるなら悲劇です。

たとえば銀行なら、本人にしか借金の話はしないはずです。

消費者金融のいまの実態はどうなのだろう。

さすがにそういう時代じゃないと思うのだけど、、、

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まあ、そんなわけで家には借金があり、

汚いアパートに住んでいました。

外観もすごく貧乏丸出しで、

Gやネズミが出ることが多く、

「Gなんて、慣れてるから」って平気な人と、実母がそうでした(^^;

そうじゃなく大嫌いになる人がいると思いますが、

わたしは後者です。

早くGやネズミが出ないところに引っ越ししたかったです。

しかし、両親は外見が汚いアパートでも文句はないようでした。

雨風しのげれば問題ないという感じです。

思春期に入ると、

わたしは自分がこの汚いアパートに住んでることを、

できるだけ友達にバレないようにしてました。

帰り道、理由をいって遠回りしたりして家がバレないよう気をつけたり。

考えたらまだ子供だし、

プライド捨てて、貧乏であることを笑い話にできたらよかった。

プライドがそのころ高すぎて苦しかったです。

好きな男の子が近所に住んでて、

1回だけ、回覧板か何かを彼が届けに来たことがあって、

汚い家を見られたことが恥ずかしくて、

家の中に入って号泣したこともあります。

このころから、貧乏から抜け出さないと、

恋愛もできないと思ってました。

自分が汚い家に住んでることがすごく恥ずかしかったです。

わたしは銀行に就職、貯金をするようになる

わたしは高校を卒業後、銀行に就職しました。

毎月家にお金を入れられるようになったので、

汚いアパートの立ち退き要請のタイミングで、

晴れて綺麗な(といっても普通ですが)

3DKのアパートに引っ越しすることができました。

駅が近いし、通勤が楽になり、とても嬉しかったです。

ここなら友達にも知られて大丈夫だと。

でも、いつかは持ち家が欲しいと夢を抱きました。

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少しずつ貯金してましたが、ある時貯金額が100万を超えました。

100万って数字は達成感がありました。

すごく喜んだ記憶があります。

そんなとき、父から聞かれました。

「いくらか貯金あるか?」

父は1度は初期の胃がんの手術で手に入った保険金で、

消費者金融からの借金を返済できたのですが、

それから数年後、また大きい借金を作っていたのでした。

「必ず返すから」とアテもない約束をして、

貯めた100万は借金の返済に消えることに。 

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それからも、

たまに、父から「貸して」と言われたり、

母からも、「生活費が足りない」「家電が壊れた」と言われ、

弟も道をはずして、消費者金融から借金し、わたしがそれを全額返済したり。

家族からお金を無心され、

わたしも付き合いが広がり、

飲み会や旅行などで出費があり、

なかなか貯金は増えませんでした。 

一応、両親はちゃんと分割で返済してくれました。

金額が大きいのは返ってこないけど

やっかいなのは弟です。

わたしの部屋から換金できるCDや漫画とかを持ち出して売ったりして、

小金を稼いでました。

弟のことは泥棒だと思って、何度も両親に訴えましたが、

もう成人した弟をしつけるのは、いくら両親といえど難しいのです。 

このころから、

早く家を出たいな。

泥棒がいない、

お金の無心もない平和な生活がしたいなと思うようになりました。

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父から借金の返済依頼。それを断る!

何度もお金の無心をされてると、

次第に麻痺してきます。

頼まれて嫌な気持ちだけど、

とりあえず、お金を渡せば、この場はおさまるから。

家族から「困ってる」と言われたら、

断るのは難しかったです。

しかし、いくら仕事を頑張ってお金を貯めても、

家族によって取られるということが何回も何回も続いて、

どうしたら、この生活から抜け出せるのか、

すごく悩んでました。

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そんなとき、

また父が大きい借金を作ったようで、100万単位のお金を頼まれました。

このときはわたしも怒りで頭がいっぱいになり、

「絶対嫌だ」と断りました。

父は素直に「そうか」といい自分の部屋に帰っていきました。

「このアパートにはいられなくなるぞ」と沈んだ声で言われました。

それから数日、父とは会話なしです。

お互い気まずかった。

でも父を見捨てたんじゃないんです。

わたしも銀行で働いていたので、

知識が多少あったのです。

父のこの状況、自己破産ということしか方法がないんじゃないか?

アパート暮らしだし、

財産なんてないんだから。

父も母もまじめに働いていましたが、

利息が膨れて、もう十何年間、

毎月の返済に困っていて、

根本的な解決をしないといけないと思いました。

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父、自己破産

わたしが必死に「自己破産」のことを、

勉強していた間に、

父のほうで動きがありました。

父が勤めていたタクシー会社にも、「返済しろ」と電話がかかってきて、

会社に借金のことがバレたのです。

タクシー会社の社長は良い人でした。

お抱えの弁護士を紹介してくれたのです。

そこから、とんとん拍子に話は進み、

父は自己破産することに。

父のギャンブルの借金と電気屋の借金、

あわせて清算できることになりました。 

父からその話を聞いて、

心の底から安心しました。

父はわたしが借金返済を断ったので、

完全に娘に嫌われたと思ったのでしょう。

「冷たい娘」と思ったかもしれません。

わたしが心配して自己破産について調べてたのを知って、安心したようでした。

断って本当に良かった!

あのとき、父からの借金の依頼を断ってよかったです。

いつも、「その場をおさめるため」

すぐに諦めてお金を渡すことが多かったですが、

あの場では強く父に対して怒れたんです。

怒るって本当に大変で、

怒り続けるってすごく疲れるんです。

家庭内の雰囲気も最悪にしてしまったけど、

諦めないで怒ってよかったと、心から思います。 

本当に、

「貸すも親切、貸さぬも親切」です。

結果的にお金を貸さなかったのが、

功を奏したのだから。

幸いといっていいのか、

我が家には財産がなかったので、自己破産へのハードルは低かったです。

自己破産は持ち家があったり、

土地があったりすると、できないのです。

財産があるがうえに、

自分ひとりの問題ではなく、

家族に迷惑をかけるということを気に病んで、 

「自死」を選んでしまう人もいます。

わたしも父の頼みを断ったとき、

父が自死を選んだらどうしようと少し心配でした。

まあ父はそんなことはしないという確信はありましたが。

自己破産の手続きを済ませた父、そして母は、ほっとしてました。

もう毎月の返済におびえなくて済んだのだから。

両親も好きでわたしにお金を頼んだわけじゃないですし、

自己破産のことだって、

実は昔から視野には入れていたけど、

子供の将来、特に銀行に勤めていたわたしに、

悪い影響があったらと考えて、その道は選ばずにいたそうです。

 

だから自己破産の手続きをする前に、

「お前の銀行は大丈夫なんだろうか?親がそういうことになって」

とすごく気にしてました。

確かに自己破産すると、

「信用情報機関」にそのことが載ります。いわゆるブラックリスト

だけど銀行のわたしが勤務している支店で、

横領事件でも起きない限り、

さすがに家族のことまで調べることはしないと思います。

人事部とかそこまで暇じゃないと思うの、たぶん(^^;

父が自己破産後も、普通に働いていましたし、

わたしも仕事は真面目に働いてました。

だから大丈夫でした。

夫との結婚のときも、義実家に自己破産のことは言っておりません。

個人の判断になるかと思います。

さすがに夫には言いました。

夫の反応は「別に」沢尻エリカかい!

まあわたしが破産したわけじゃないから、当然ちゃ当然ですけどね!

それでも嫌悪感は持つ人はいるでしょう。

わたしは良い人に出会いました。 

自己破産について否定的な意見はあると思いますし、

それを否定はしません。

でもわたし個人の意見としては、

両親はもう何十年も、毎月の返済に苦労して、

元本より何倍もの利息を払ってきました。

だから、もういいんじゃないかと。

十分、貸金業者を儲けさせたと思いますので。

この自己破産の詳しい流れについては、

今後母の家で保管してる資料が見つかったら、

いつかブログで書いてみようと思ってます。

詳しく知りたい人の助けになりたいです。

借金がある人についての評価

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ここまで、書いてきて、

わたしの家族について、良い印象を持った方は少ないと思います。

世の中のイメージは、

借金ある人=ダメなやつ

というイメージなので。

先日、岸部史郎さんが亡くなりましたが、

やはり背負った多額の借金の話が話題になってました。

皆さんは岸部史郎さんのことどう思ってましたか?

わたしは銀行に勤めたので、

お金を借りることの大変さがある程度わかります。

たとえば、現在専業主婦のわたしがお金を借りようとしても、

会社員の夫の存在なくては、難しいのです。

だから、

多額の借金を背負えること自体がすごいことなんです。

お金を貸す価値がその人にあった

そういうことなんです。

サラ金とかだと、また話は変わりますが。

なので、父は電気屋で借金をこさえましたが、

ダメなやつではないんです。ギャンブルの借金はダメなヤツだけど(^^;

わたしが子供のときは、そろばんや学習塾、

ソフトボールなどの習い事もさせてもらいました。

そこはケチらず、子供のため教育費にお金をかけてくれました。

優しい人でしたし、家族に手を上げることもなかったです。当たり前のことですが

いつも図書館で本を借りて、勤勉な面もありました。

地頭はよかったのに、なんで競艇にハマったのか。

母が言うには「それまで真面目すぎて遊んでこなかったから」らしいです。 

親の借金返すのは当たり前? 

お金の無心もわたしが成人してからのことです。

そう思うと印象は変わりますでしょうか?

お笑いコンビ次長課長の河本さん。

お母さまの生活保護受給問題で、世間に叩かれました。

 

成人したならば、

親の借金は子供が返すのは当たり前なのでしょうか?

それが世間の常識でしょうか? 

だとしたら、わたしが被害者ぶってるのはおかしいことなのかもしれません。

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でも苦しい思いをしたのは事実なんです。 

わたしと同じような状況で、

いまも苦しんでる人いると思います。

そういう人たちに、

「家族だから返せばいいのに」

なんてわたしは絶対言えないです。

その方にひとつアドバイス的なことを言うとしたら、

「家族を怨む前に行動して」

かな、、、

その場をおさめるために、お金を貸し続けるのは、

根本的な解決にならないのです。

そうなると結婚などの未来を描くのは大変です。

将来「親のせいで、自分の幸せがつかめなかった」と

親を怨むようになったら気の毒です。

負の連鎖 

わたしは銀行で働いていたので、

学校の給食費など、引き落としの手続きをしたことがあるんですが、

免除や減額をされている子供は多いという印象です。

生活保護家庭か、シングルマザーの家庭なので、そういった措置がされているのです。

1クラスに、1人か2人はいました。

毎月の引き落とし日に残高不足で落とせない口座も多かったです。

家庭にはいろいろな事情があります。

生活保護の「扶養義務の強化」は「貧困の連鎖」を生む(大西連) - 個人 - Yahoo!ニュース

子供が成人したら、わたしのように、

働き手として頼りにされるかもしれません。

その先もずっと親の面倒を見なければならない。 

この負の連鎖を断つのは、難しいこと。

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わたし自身も今後何が起こるかわかりません。

夫が突然リストラにでもあったら、即ピンチです。

わたしには全国の子供の貧困を救うことはできないけど、

自分の子供2人だけは、

なんとか貧困とは無縁の世界で生きてもらいたい。

だから早くわたしも健康を取り戻し、

お金を稼げるようにならないといけない。

とにかく、元気な自分に戻りたいです。

元気があればなんでもできる!

猪木さんの格言です。

現在の幸せ

わたしはその後、

運よく夫と出会い、結婚。

晴れて家を出ることになりました。

その後、父が亡くなり、

母と弟がアパートで2人暮らしをしています。 

すみません。ちょっと長話になりました。

家族の話、皆さんがどう思うかわかりませんが、

わたしはこの出来事を、恥だと思って書いたわけじゃありません。

大変な状況を乗り切ったという「武勇伝」だと思って、

思い切って書きました。

わたしと同じような状況で悩んでる方の参考になったらと思います。