おはようございます。
この記事を書いている8月15日は、
日本の終戦記念日です。
昨日の記事に書きましたとおり、
午前中は私の実家に行ってきました。
お盆、終戦記念日に思う【母方の祖父は戦死しました】
亡くなった実父の話
今日、実父の仏壇にお線香を上げ、
ゆっくり母と話すことができました。
外は大変な猛暑なので、
子供は外で遊べず、不満そうでしたが。
母と父の思い出話をしたのですが、
父は亡くなる前日、
お見舞いに来ていた母の手をギュって握って、
まだ帰ってほしくないと言ったそうです。
しかし母は電車で病院に通っていたので、
電車の混む時間もあり、そろそろ帰らないとと説得して
帰ったそうです。
それが最後の会話なのだと。
父は何かブツブツ言っていたそうです。
「後悔」「失敗」「心配」そんな感じの言葉だったそうですが、
残念ながら母は難聴なので、
父が本当は何を言いたかったのか、わからないままです。
もしかして父は自分の命の終わりを予感してたのでしょうか?
いまとなってはどうしようもないのですが、
何を言っていたのだろうな。
実母はハードな人生です
「今日は終戦記念日だね」という話題から、
わたしの祖父の話になりました。
母は、両親の顔を知りません。
祖母の死因はわかりませんが、祖父の死因だけはハッキリしています。
戦死です。
母は曾祖父に育ててもらったそうです。
しかしその曾祖父も亡くなり、若いときに家を出て上京しました。
そしてわたしの父と結婚し、子供をもうけ、
電気店を営むも、突発性難聴を患い、
店は潰れて借金で夜逃げして、などなど、
母の人生はゲームでいうところのハードモードです。
今日はじめて祖父の載ってる戸籍を見せてもらいました。
これです。
ちょっと読みにくいんですけど、
「昭和19年8月18日に比島(フィリピン?)海上で戦死」って記載されています。
終戦のちょうど1年前くらいですね。
実は母の住んでる市の広報誌に載っていたらしいのですが、
「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」の案内があるそうで、
↓ これです
www.mhlw.go.jp「もしかして、わたしこれもらえるのかな?」と聞かれました。
母は確かに戦没者の子です。
母以外の兄弟はすでに亡くなっています。
一応市役所に聞いてみようということで話は終わりました。
本当に特別弔慰金をいただけたら、うれしいですよね。
ブログを読んでいる方はわたしと同年代の方もいらっしゃるので、
もしご両親が戦没者のご遺族でしたら、
申請できるかもしれないので、
(条件がいろいろあるようですが)
お住まいの市区町村に確認してみてください。
戦争の写真をカラーでみると
母から話は聞いていましたが、
実際に戸籍謄本で、戦死の記載を見ると、
戦争はそんな遠い過去ではないという実感がわきました。
そういえばこんな記事も読みました。
今まで、戦争の写真は白黒でしか見たことがありません。
白黒をカラーにすると、
こんなに感じ方が違うものなのかと驚きました。
戦争って本当にあったことなんだ。
写真はまるで映画のワンシーンのようです。
こうして過去を掘り起こす方法もあるんだなって、感心しました。
終わりに
義実家では15日の夜、
送り火をしました。送り火する日は地域によって違うようですね
家から近いところに義父のお墓があるので、
みんなで盆提灯を持ち、お墓へ。
夜の闇に浮かぶ盆提灯、
なぜか好きです。
今日は暑かったけど、良い日でした。
心穏やかに過ごせてよかった。
平和な時がいつまでも続きますように。