こもれびライフ

40代で2児の母。体調記録やお買い物記録など。

大切な人を亡くす前に準備すること:前編【イオンのお葬式】

どうもどうも!

今回は真面目な記事です。

実は7月25日は、

実父の命日なのです。

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七回忌にあたる今年、

一般的にはお坊さんに来ていただき、七回忌を執り行うところですが、

我が家は実母とわたしたち4人(わたし、夫、子供2人)で

家で食事会を開くだけです。

 

父の親戚は地方にちらばっていますし、

父の友達にも亡くなったことを知らせていません。

 

そして父の骨はまだ母の家(アパート)に置いてあります。

お墓を継ぐ人がいないし、

永代供養を考え、墓地を見に行ったりもしたんですが、

やはり、他人の骨と交わることになるよりは、

いつか母と共に骨を埋めるほうがいいんじゃないかと。

なので時が来るまで、母と一緒です。

 

前置きが長くなりましたが、

わたしのように、核家族で、親戚はいない方で、

もうすぐ大切な人を看取ることになるかも、、、、というご家族のために。

参考になれればと思い、

この七回忌までの流れを書いてみようと思います。 

大切な人を亡くす前に準備すること:前編【イオンのお葬式】

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娘を妊娠中、父救急車で運ばれる

時を遡ること2013年2月、わたしは妊娠をしました。

もちろん夫婦で喜びました。

まだ妊娠初期でしたが、両親に言いたくてウズウズ。

すぐに言いました。

父が入院していた病院で。

 

そのとき、父は初期の大腸がんが発見され、手術することになっていたのです。

難聴の母の代わりに、父と共に主治医の説明を聞きましたが、

初期で見つかったので生存率は高いということで、

少し気は軽く、安心して手術に臨んだのでした。

実はわたしが中学生のときにも、父は初期の胃ガンで手術しています。

だから、「ああ、また初期で見つかったか~悪運が強いなー」

と思ってました。

その病室で妊娠を報告。

両親は大喜び!

そして、大腸がんの手術は成功。

その後、わたしはつわりで入院したり、大変な妊娠初期となりましたが、

なんとか安定期を迎えました。

 

しかし、父は突然倒れ、入院してしまうのです。

大腸がん手術後の検診で「転移なし」を確認した次の日の出来事でした。

がんは取れて、転移もなし、孫も生まれる、

「あと数年大丈夫だ」と安心した矢先の出来事。

理由はいまもよくわかりません。

突然、下半身が動かなくなったのです。

大腸がんは関係なしです。

原因はわからないが、脊髄炎を疑い、すぐにステロイドの点滴をはじめたそうです。

しかし点滴治療が終わっても、両手はかろうじて動きますが、

下半身はまったく動かず。

担当医は腕が動くことから、腰の神経に異常があるのではないかと、

CTやMRIといった検査をしましたが、

はっきり何が原因なのかわかりませんでした。

父はそのとき「脊柱管狭窄症かなあ?」という整形外科医のつぶやきを聞いたそうです。

しかしレントゲンなど見る限り、下半身マヒするほどひどい状態に見えないらしく。

父は72歳。

はっきり原因がわからないまま、

その手術をするのは、年齢的にもリスクが高く寿命を縮める結果になるだろうと、

「手術は適用できない」と判断が下されたのです。

セカンドオピニオンも受けましたが、同じ結果でした。

父はそのまま寝たきりとなってしまいました。

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長い闘病生活は1年続きました

突然下半身マヒになってから、1年以上、寝たきり生活は続きました。

人は1か月も寝たきりになると、

からだが動かなくなってしまうのです。

病院にリハビリ施設があるのはそのためで、

筋力を落とさないよう、

面倒くさい気持ちをおさえて、トレーニングに励まなければなりません。

理学療法士の方が、動く腕だけでもとトレーニングに誘いに来てくれましたが、

やったり、やらなかったり、、、

父は「手術すれば治る」と信じていたので、

キツいトレーニングはやる気が起きなかったようです。

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3か月くらいたったころ、わたしと母は主治医から

「胃ろうにするかお考えください」と言われました。

そのとき嚥下機能も落ちていたので、

肺炎を繰り返すようになっていました。

ずっと口からは水も飲めない状態でしたので、

点滴で栄養をとっていたのです。

「胃ろう」にすれば、あと数年生きられるかも、とわたしは思いましたが、

当の父や母が、胃ろうには反対しました。

「絶対胃ろうは嫌だ」と。

わたしはどんな姿でも生きていてほしいと思いましたが、

寝たきりで何年も生きるのが本人にとって果たして幸せかどうか、、、

家族にとってすごく悩むことですが、

頭はハッキリしていた父が明確に拒絶してくれたので、

ある意味助かりました。

究極の選択をしないで済んだのでホッとしました。

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しかし、このまま点滴で栄養をまかなうということは

「もって1年」だということ。

主治医にはっきりそう言われて、

悩んだ末、父の親戚に連絡することにしました。

父の兄弟はほとんど亡くなっていて、(大家族でした)

病院まで見舞いに来てくれたのは3人です。

父は電気屋を営んでいましたが、借金をこさえて夜逃げしました。

この3人の親戚にもお金を工面してもらって迷惑をかけたので、

それでも病院に来てくれたことは本当にうれしかったです。

父は電気屋を潰したあとは、タクシー運転手になり、

たくさんお友達がいたのですが、

連絡先がわからず、いまも知らせることができません。

臨月のとき、重い肺炎に

わたしが臨月になったころ、

父はひどい肺炎になってしまいました。

いままで何回か肺炎の症状がありましたが、

ここまで重いのははじめてです。

いつどうなるかわからない、、、

わたしは大きいお腹を抱えながら、

毎日、朝から夜まで病室にいました。

朝は夫が車でわたしを病院へ送ってから出勤。

帰りも迎えにきてくれます。

 

肺炎で痰がからんで苦しそうな父。

看護師さんが痰を吸引してくれるのですが、

この痰の吸引には、うまい、ヘタがあるのです。

ヘタな人がやると、痰も取れず苦しいだけ。

父はうまい看護師さんを指名して「呼んできて!」とわがまま言ってました。

でもワガママを言いたくなるほど、

痰の吸引は苦しそうで、父が可哀相でした。

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病院からの転院の催促がキツかった

幸いにも、この重い肺炎は快方に向かっていました。

わたしもそれまで毎日病院へお見舞いにいっていましたが、

予定日一週間前から控えました。

「次会う時は赤ちゃん連れてくるから、だから元気になって」

その後、わたしは無事に娘を出産することができました。

 

娘が産まれると、父のことは気になりつつも、

娘の育児で手いいっぱい。

出産してから1か月は外出を控えないといけないこともあり、

父のことは完全に後回しです。

実母はもちろん、父のお見舞いに行ってましたから、

産後の手伝いは義母がしてくれました。

本当に義母にはいつも助けてもらってて感謝です。

 

そんな育児で精一杯の中、

父の病院から、ある依頼の電話がかかってくるように。

「転院してください」

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ケアマネジャーさんから何度も電話がありました。

そのたびにまだ産まれたばかりの赤ちゃんがいて動けないと

断りました。

わたしの実母は毎日病院にお見舞いに行っていましたが、

実母ではなくわたしに言ってくるのです。

なぜなら母は「難聴だから」

過去記事に詳しく 書いてます

komorevi.net おそらく母にも筆談で話はしたとは思うのですが、

一向に動く気配がないので、わたしに電話をかけてくるようになったのだと思います。

難聴の母に、転院の手続きはできません。

もう母はわたしに頼りっきりで、すべてわたしに任せようとしていました。

もちろんそのときわたしはもう38歳。

子供だからと言い訳できる年齢じゃありません。

実は母と同居するニートの弟もいるのですが、役立たずです。 

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しかし育児で疲れていたわたしは、

父の転院先を考える余裕はありませんでした。

父の下半身マヒという状態を面倒見れる病院で、

母がお見舞いに通いやすいよう家から近くて、

年金等で払えるところでないといけません。

父の障がい者手帳の手配は、母にお願いしましたが、

要介護1~5で費用が違ってくるので

それ以外のことはなかなか進めることができないでいました。

 父が入院している病院は「救急病院」

治る確率の低い父が長く療養できるところではないのです。

しかし、はじめての育児でわたしに余裕はなく。

夫も仕事が忙しく休めない状態。

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一度、朝早く、主治医の女医から

「早く転院しろ」と電話がかかってきました。

いつもケアマネジャーさんからしか電話は来なかったので、

びっくりしたと同時に、あまりの言いように涙がでてしまいました。

もしかしたら病院の朝の会議で「まだ退院させてないのか」

女医は上司から叱責されたのかもしれません。(あくまで予想です)

朝早くに、怒りに満ちた電話だったので、

わたしも平謝り。

その後、患者の家族に対する言葉使いじゃないんじゃないかと

いつも電話してくるケアマネジャーさんには泣いて訴えました。

「すみません、彼女(主治医)から直接電話しないよう伝えます」

そう言ってくれましたが、

確かに、転院しなければならないのに、

いつまでも粘っているわたしたちが悪いのは承知してます。

もう少しだけ待ってほしいと伝えました。

必ず、近いうちに転院しますからと。

 

でも今でもこの主治医が、

担当じゃなければよかったのにと思わずにいられません。

恨んでるといってもいいかもしれません。

もっとベテランの先生なら納得できたんじゃないかと思うのです。

主治医の女医はいつも説明がヘタであやふやで頼りなかったです。

下半身マヒになった原因も結局ハッキリしなかったし。

患者の家族にヒステリックに「転院しろ」って言ってきたり、

いまだ強い不信感を抱いたままです。

 

やっとわたしも余裕がでてきたころ。

父に娘を会わせることができました。

父はか細い声で「笑え」と、一生懸命娘に話しかけてくれました。

父には「なかなか来れなくてごめん」と謝りました。

父は「子供を優先するのは当たり前だ」と言ってくれました。

借金とかあって、ギャンブルもやってた困った父なのですが、

優しい人でした。

夫からの助言。

ケアマネジャーさんの協力もあり、

娘を抱っこしながら、

転院先の候補の病院へ何軒か見学に行き、

やっと転院先が決まりました。

ちょっと母の住むアパートから遠くなってしまいましたが。

費用を考えると贅沢はいえなかったのです。

そんなとき、夫から

「怒らないで聞いてほしいんだけど」

改まって話がありました。

「お義父さんにもしものことがあったら、どうするか決めておいたほうがいい」

実は夫も父を亡くしているのです。

わたしと結婚する前でしたので、わたしは会ったことはありません。

「病院で亡くなると、悲しむ暇もなく、病院から出ていくよう言われるんだ」

「だから、いまのうちに決めておいたほうがいい」

母はアパートに住んでいます。

そのアパートに亡くなった父を運べるのか?

まずは火葬しなければならない。

そしてお葬式は?

親戚には知らせるのか?

もしものときは急いで決めなければならないのです。

わたしは転院に安心していて気が抜けていましたが、

夫にそう言われて、気乗りしないものの葬儀社を調べることにしました。

 

その時はいきなり来ました。

転院して一週間後、父は亡くなるのです。

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長くなりましたので、次回に続きます。

その後の手続きについて詳しく書こうと思います。